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カンタータ第48番《われ悩める人、われをこの死の体より》

バッハの教会カンタータ(53) BWV48

カンタータ第48番《われ悩める人、われをこの死の体より》
Ich elender Mensch, wer wird mich erlosen
1723,10/ 3 三位一体節後第19日曜日

曲の内容とは関係ないのですが、まず耳寄りな話を。このカンタータはフルスコア、さらにパート譜までネット上にあります。 (「バッハのカンタータ関連WEBサイト」のページを見ていただき、"Center for Computer Assisted Research in the Humanities"をクリックしていただきますと、"MuseData printed scores"のところにあります。) 内容は旧バッハ全集に基づくもののようですが、印字をしてみると、大変美しく見やすいものです。

さて、当日の礼拝の聖句は、マタイ:9, 1-8で、イエスが中風の人を癒す話ですが、それだけでなく「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていること」がテーマとなっています。 そして、カンタータのテーマも「病の癒し」というよりは「罪の赦し」という点におかれているようです。

第1曲合唱曲の歌詞は、有名なパウロ書簡、ローマ人への手紙:7, 2 がそのまま使われています。

わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。(新共同訳聖書より

音楽はこの歌詞に対応して、まず弦楽による嘆きとため息のリトルネロで始まります。 この6度の上昇と降下を繰り返すリトルネロ主題を変形した主題により、合唱フーガが始まります。 このフーガは計7回繰り返され、ソプラノ、バス、テノール、アルトと、その都度別の声部から入っていきます。 さらにこれらに重なって、トランペットがコラール1曲分を7回に分けて奏し、その都度オーボエがトランペットとカノンを形成します。

口で言ってしまえばこれだけのことですが、おおよそこれら3つの要素が何度も精妙に重ね合わされ、一定の音楽的情緒が高められていく過程には、 静かな興奮を覚えます。

また、意味的な面に着目すると、嘆きの弦楽と合唱に対して、唯一の救い主イエスを歌うコラールが挿入されることによって、そこに一筋の光が投げかけられているという構図が浮かび上がってきます。 このコラールのメロディは、このカンタータの最終コラールが使用されています。実に心憎いばかりの仕掛けがちりばめられた合唱曲です。

第2曲レシタティーヴォ(A)は、第1曲のリトルネロと同様に弦楽合奏を伴うもので、第1曲の歌詞をさらに敷衍した内容が歌われます。 このカンタータはフラットが2ないし3の調号をもっていますが、この10小節−13小節にかけてはシャープが俄然優勢となり、ホ長調ニ長調ト長調とめまぐるしく調性が変化します。

苦痛が死すべき身を打ち/魂が十字架の苦い杯を味わう時

つまり、♯は十字架の形象とされているわけで、「この部分はこのカンタータ全体の中で浮き彫りのように際だっている」(Oxford Composer's Companions J. S. Bach)のです。

▼さて第3曲コラールは、通常はアリアが来そうなところですが、ここでは罪の報いと悔い改めをテーマにしたコラールが歌われます。 魂の苦痛に何の解決の道も与えられないままでは、アリアが歌えないと言うことでしょうか。

続く第4曲アリア(A)は、オーボエのオブリガートを伴った、軽やかな舞曲風のアリア。心の中の「ソドム」が破壊され、魂が浄められることを祈る歌ですが、むしろ魂が浄められる喜びを歌っているかのようです。 "zerstöret"(破壊する)のところで急に音がはずれたようになるのは、例によっての音画表現。

次のレシタティーヴォ(T)はあっさりしたものですが、ここで初めて、心と身体の救い主なるイエスの名が語られ、続く第6曲アリア(T)へ。ここに至って、初めて心と身体は罪からのびのびと解き放たれ、その喜びが歌われるようです。 3/2拍子と3/4拍子の交替するリズムが、心地よく響く美しいアリアですが、拍子が絶えず入れ替わり、調性も短調と長調が入れ替わると言う点に、死から生への転換ということが表されているのかも知れません。(とりわけ、58小節−62小節の転調は大胆です。)

こうして、第7曲の終結コラールでは、第1曲でトランペットとオーボエによって暗示されていた主イエスへの信頼が、正面から歌われて全曲を閉じます。

(2003年9月8日)


▼すぐに続きを書くつもりだったのに、ずいぶん日が過ぎてしまいました。このカンタータの録音は5つの全集盤だけのようです。ただし、第7曲のコラールだけは Brilliant Classics から、Matt指揮、Nordic Chamber Choir による録音が出ています。 これは、バッハの4声コラールをCD6枚に収めた録音の一部で、単独のコラールもカンタータや受難曲に入っているコラールもほぼもれなく収録しています。演奏は簡素で古雅な味わいのあるものです。

Rilling		1973	Hänssler  
Harnoncourt	1975	TELDEC  
Koopman		1998	ERATO  
Leusink		2000	Brilliant  
Suzuki		2000	BIS  

さて、もう一度この5つの録音を聞き通してみました。レーシンクの演奏は全体に低調で、取り立てて聞くべきものを感じませんでしたが、他の4つの演奏はそれぞれに聞きごたえのあるものでした。

▼新しい方から書くと、まず鈴木盤は大変整った演奏です。合唱はゆっくりしたテンポの丁寧なもので、敬虔な心情は良く現れていますが、悪く言えばやや単調です。
この合唱曲は楽譜の上では4分の3拍子ですが、実際には2小節を単位にした4分の6拍子として演奏する方が動きがあって良いようです。この演奏は、3拍子の「タータ」のリズムが執拗に繰り返され、そのあたりも単調さの原因かと思いました。 カウンターテナーのロビン・ブレイズは声がスムーズで歌唱も安定していますが、言葉のニュアンスに無頓着なような気がしました。一方、テノールのテュルクは、形の整った、かつニュアンスのあるすばらしい歌唱です。

▼コープマン盤の合唱曲は、柔らかく伸びやかで、聞く人の心に寄り添い、いつしかこちらの心も動いてくるような演奏です。カウンターテナーのランダウアーは、今ひとつスムーズさに欠ける歌い方ですが、声の魅力はあります。 テノールのプレガルディエンは余裕で歌っていますが(とにかくうまい)、テュルクのような張りつめたものはありません。この二つの演奏は、響きはよく似ていますが、コープマンの演奏は一定の形にこだわらず、即興性や心情的な共感などを大事にしているように思いました。

▼アルノンクール盤は、冒頭のリトルネロから、強く刻んでゆく演奏です。その刻みは不均等な、いわば前のめりのもので、そこに音楽を前へ前へと進めてゆく強烈な力を感じさせます。 合唱の響きはコープマン盤の対極にあるような硬質のものですが、それが一種の悲愴感を伴って迫ってきます。 カウンターテナーのエスウッドは歌詞の意味がそのまま伝わってくる歌唱。テノールのエクィルツも独特の緊張した声の力のある歌唱でした。また、テノールアリアではリズムの優雅さも出色です。アルノンクールの演奏は、時に疑問だらけの場合もありますが、これは力のこもった名演だと思います。

▼リリング盤は、音を刻まず、レガートで歌う演奏。それによって作り出される音楽の流れに、やはり強い推進力があります。(もし私が合唱団で歌わせてもらえるなら、この演奏に加えてほしいと思います)。マルガ・ヘフゲンの豊かなアルトは圧倒的。 アルトのアリアではギュンター・パッシンのオーボエもすばらしい。テノールのバルディンも表面的にならずに歌っています。

いろいろな演奏を比較して聞いていると、どの演奏が優れているかと言うことより、バッハのいろいろな面をとらえることができると言うことこそが重要なのだと感じます。なお、以上の演奏についての記事は、以前のものがややこしい書き方になってしまいましたので、もう一度書き直しました。

(2003年10月11日)

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2003-10-11更新
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