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タイトル細かい話─カンタータの歌詞
記事No829
投稿日: 2007/06/24(Sun) 15:27
投稿者葛の葉
ドイツ語がどうとか、聖書の背景がどうかと言う話ではありません。
もっと単純な話、カンタータの正しい歌詞とは何でしょうか。

たとえば、有名な82番の出だしは"Ich habe genug"なのか"Ich habe genung"なのか。

"Ich habe genug"とするもの
旧バッハ全集
バッハ事典
"Ich habe genung"とするもの
新バッハ全集
Bach Werke Verzeichnis (1998)
Dürr "The Cantatas of J.S.Bach"(カンタータの歌詞全てを掲載)
ヘンスラーの全集(カンタータの歌詞全てを掲載)

これだけ見ると勝負は明らかで、最近の資料は新バッハ全集に準拠していると言えます。
新バッハ全集にはファクシミリも少し付いていて、確かに"genung"と書かれています。

次に、40番は"Dazu ist erschienen der Sohn Gottes"なのか"Darzu ist erschienen der Sohn Gottes"なのか。

"Dazu ist erschienen der Sohn Gottes"とするもの
旧バッハ全集
バッハ事典

ここまで書くと、「やっぱり"darzu"か」と思いたくなりますが、実は新バッハ全集でも"Dazu ist erschienen der Sohn Gottes"となっています。

"darzu"は旧バッハ全集にも新バッハ全集にもないわけで、一体どこから来たのでしょうか?

"Darzu ist erschienen der Sohn Gottes"とするもの
Bach Werke Verzeichnis (1998)
Dürr "The Cantatas of J.S.Bach"
ヘンスラーの全集

新バッハ全集に準拠しているのかと思ったBWVやDürrの本や、新バッハ全集準拠をうたっているヘンスラーの全集も、実は必ずしもそうではないわけです。

カンタータの歌詞を掲載しているサイト、翻訳や対訳を載せているサイトは多数ありますが、その最も基本となる歌詞本文がいかなる典拠によるものなのか、少し気になるところです。

タイトルRe: 細かい話─カンタータの歌詞
記事No830
投稿日: 2007/06/25(Mon) 23:20
投稿者葛の葉
さらにちょっと調べてみました。

このサイトで紹介しているシュトゥットゥガルト・バッハエディションは、表紙の写真で見る限り"Ich habe genung"と""Dazu ist erschienen "で、新バッハ全集と同じです。

ところが、ブライトコップフから出ている楽譜(赤地に白文字)の表紙写真を見ると"Ich habe genung"と""Darzu ist erschienen"で、やっとBWVやDürrと一致するものが見つかりました。
この楽譜は旧バッハ全集をソースにしていると思っていたのですが、細部で違う点がけっこうあるようです。

何が正しいのか、なぜこのような違いが生じたのかは分かりませんが、旧バッハ全集や新バッハ全集に準拠したなら準拠した、それを元に訂正を加えたなら加えた、独自の校訂によるのならそれによると、はっきりしたものがほしいと思います。
いわゆる流布版のような形で、根拠のはっきりしないデータが出回るのは、ないよりはましかも知れませんが、いつまでも続いてほしい状況ではありません。

タイトルRe^2: 細かい話─カンタータの歌詞
記事No831
投稿日: 2007/06/27(Wed) 15:32
投稿者アストロフェル
蛇足ながら。おひさしぶりです。

わたくしも手持ちのスコアが”Christi WundenがアーノンクールではWundernであったり、Ich bin deinがIch bin seinになって「誤読」とされて戸惑ったことがあります。新バッハ全集の一応の完結でなんとか「公認稿」になるかもしれませんが、これが真実かどうかはわかりません。

タイトルRe^3: 細かい話─カンタータの歌詞
記事No834
投稿日: 2007/06/29(Fri) 22:45
投稿者葛の葉
おひさしぶりです。

> 新バッハ全集の一応の完結でなんとか「公認稿」になるかもしれませんが、これが真実かどうかはわかりません。

もちろん新バッハ全集が絶対に正しいということはありえませんが、非常に入念に行われた仕事であることは間違いありません。

ところで、ヘンスラーのバッハ全集の歌詞対訳には、次のような断り書きがあります。
曰く、リリングが録音した頃には、新バッハ全集が完成していなかったため、一部旧バッハ全集によるしかなかった。そのため、ブックレットの歌詞とは少し違う場合がある。ここに印刷されている歌詞、そしてデュルの「バッハのカンタータ」に見られる歌詞は新バッハ全集によるものである、と。

実はこれは真実ではありません。
まずヘンスラーのブックレットにある歌詞は、まず間違いなく、デュルの本から取られたものです。
つぎにデュルは新バッハ全集による歌詞とは一言も言っておらず、ただ「ここにある歌詞は新バッハ全集と同じ方針で編集された」とだけ言っているのです。
デュルが「バッハのカンタータ」を書いたときには、まだ新バッハ全集は完成していなかったのですから、これは当然のことです。

それだけでなく、デュルの本にある歌詞=ヘンスラーのブックレットの歌詞は、当時既刊であった新バッハ全集の歌詞とも明らかに違います。

結局、新バッハ全集の歌詞は楽譜の中にあるだけで、その歌詞だけをとりだしたものや、新バッハ全集に基づいた対訳などは、今のところないと言って良いようなのです。

論より証拠で、新バッハ全集初期のBWV61他のテキストをいくつかアップしてみました。(36,40,61,62,63,64,132,197a)
「新バッハ全集版カンタータ全集索引」にリンクがありますので、お手持ちの歌詞(あればヘンスラーのブックレット)と比較してみてください。
http://www.kantate.info/NBA_cantata_list.htm

タイトルRe: 細かい話─カンタータの歌詞
記事No835
投稿日: 2007/06/30(Sat) 07:43
投稿者fs

> たとえば、有名な82番の出だしは"Ich habe genug"なのか
> "Ich habe genung"なのか。
..
> 新バッハ全集にはファクシミリも少し付いていて、確かに"genung"と書かれています。

前から気になっていた"genung"なのですが、葛の葉さんによる検証をきっかけにGrimm兄弟の辞典を調べてみました。細かい所はよくわからないのですが、出だしの所は次のようにあります..

"genug..

g)奇妙にも g e n u n g, gnung, の形もまたその最も広い意味(フランケンとラインを含む)における中部ドイツ語で、また散在的に高地ドイツ語で使われ、発音は当初つづられていたようにg e n u n k.."

カンタータ82番の歌詞はunbekannter Dichter(作詞者不詳)ですが、その作詞者の活動圏の予想がつきます。

(グリム兄弟、ドイツ語辞典 Online)
http://germazope.uni-trier.de/Projects/WBB/woerterbuecher/dwb/wbgui?lemid=GA00001

タイトルRe^2: 細かい話─当時の翻刻から
記事No841
投稿日: 2007/07/02(Mon) 12:28
投稿者アストロフェル
カンタータの直截の歌詞ではありませんが、Haenser刊行の16世紀詩文撰のルターのコラールではMyt vried vnd vreud…とあって:活字は現代です。綴字法がまったくちがったようです。また可能であれば教会で配布された、当時の歌詞本のファクシミリでもあれば参考になるかもしれません。

実はgenungですが少年期genungとおぼえて、genugと録音されていたので記憶違いと考えていました。また52でEr kommtがいくつかkoemmtとなり:ヘレウェーへ。困惑しました。

まあgenungが憶え違いでなかっただけ幸いです。

タイトルdazu と darzu
記事No836
投稿日: 2007/06/30(Sat) 10:32
投稿者葛の葉
これについては、次の小林英夫氏の解説で考察されていました。
(以前に読んだはずなのに、完全に忘れていました。)

http://www.asahi-net.or.jp/~hc2n-iijm/kobayashi/bwv040/bwv040.htm

この時点でBWV40はまだ未刊だったのですが、結果は小林氏の予想通り"dazu"でした。

なお、この解説の中で小林氏は「ベーレンライター版でもミニチュアスコアやヴォーカルスコアでは信頼度が劣ります」と述べておられます。
ピアノスコアは編集ものなのでそうかも知れませんが、ミニチュアスコアは単に写真で縮めただけのものではないのでしょうか?
少なくとも、今回発行されたカンタータ全集は、新バッハ全集を写真縮小したものと明記されています。
さらに現在までに発見された誤植は修正されていると書かれているので、現状では最も信頼性の高いものだと思います。

小林氏の訳詞をまとめたリンク集は下記。

http://www.kantate.info/kobayashi.htm

タイトルmein か o か
記事No840
投稿日: 2007/07/01(Sun) 22:13
投稿者葛の葉
日本語のカンタータ演奏。大変貴重な試みと思い、このサイトからもリンクさせていただいています。
と言いつつ、(分かりもしない)ドイツ語歌詞にこだわっています。

カンタータ133番の終結コラールを見ていますと、リリングのブックレットでは最後の行が"Mein Jesu, schlaf ich ein."なのに対して、ベーレンライターのスコアでは"o Jesu, schlaf ich ein."となっています。
ところが、リリングのレコードを聴くと、ちゃんと"o Jesu, schlaf ich ein."と歌っています。
これはどうしたことかと思い、結局手持ちのCDを全部聴いてしまいました。
結果分かったことは、ほとんどのCDで、ブックレットは"mein"、演奏は"o"だったということです。
ただし、ガーディナー(Archiv盤)とコープマンはブックレットも"o"、逆にヘレヴェッヘだけはブックレットも演奏も"mein"でした。

つまり演奏の世界では"o"が、楽譜以外の文字の世界では"mein"が主流ということです。

大御所デュルの本も"mein"、その他ネット上で見られる歌詞や対訳もほとんどが"mein"。
ただし、ちゃんと楽譜に基づいた歌詞を使用している小林英夫さんの対訳は"o"でした。
http://www.asahi-net.or.jp/~hc2n-iijm/kobayashi/bwv133/bwv133T.pdf

実は、新バッハ全集に限らず、旧バッハ全集も、何かと問題のあるブライトコップフのヴォーカルスコアも、みんな"o"なのです。
演奏家は楽譜しか見ないので"o"と歌うのは当然。
逆にデュルは楽譜ではなく、C.ツィーグラーのコラール歌詞を直接引用したのでしょう。
その他はほとんどが親亀子亀の世界ではないかと思います。
(ヘレヴェッヘが"mein"と歌っているのだけが不思議です。)

133番のベーレンライターによる歌詞は、まだサイトの方のリンクは更新していないので、次を見て下さい。
http://www.kantate.info/BWV133.pdf