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カンタータ第90番《怖ろしき終わり汝らを引きさらう》

バッハの教会カンタータ(57) BWV90

カンタータ第90番《怖ろしき終わり汝らを引きさらう》
Es reiset euch ein schrecklich Ende
1723,11/14 三位一体節後第25日曜日

少し長々しいですが、まずこの日の礼拝の聖句から引用しましょう。

「それで,預言者ダニエルを通して語られた,荒廃させる嫌悪すべきものが,聖なる所に立っているのを見るなら(読者は理解せよ),その時,ユダヤにいる者たちは山に逃げなさい。屋上にいる者は自分の家から物を取り出そうとして降りてはいけない。畑にいる者は外衣を取りに戻ってはいけない。だが,それらの日,妊娠している者たちと乳を飲ませている母親たちにとっては災いだ! あなた方の逃走が冬や安息日に起こらないように祈っていなさい。その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,また二度と起きないような苦しみがあるからだ。それらの日が短くされなかったなら,肉なる者はだれも救われないだろう。だが,選ばれた者たちのために,その日々は短くされるのだ。

「その時,だれかがあなた方に,『見よ,ここにキリストがいる!』とか,『あそこだ』などと告げても,それを信じてはいけない。偽キリストたちや偽預言者たちが現われて,できるなら選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,しるしと不思議な業を行なうからだ。

「見よ,わたしはあなた方にあらかじめ告げている。だから,人々があなた方に,『見よ,彼は荒野にいる』と言っても,出て行ってはいけない。『見よ,奥の部屋にいる』と言っても,それを信じてはいけない。いなずまが東から出て,西にまで輝きわたるように,人の子の来臨もそのようだからだ。どこでも死体のあるところ,そこにハゲワシたちも集まって来るのだ。 (マタイ24:15〜24:28 「電網聖書」より引用)

ヨハネの黙示録を思わせるような個所で、2000年前のユダヤと言うよりは、現在のパレスティナをそのまま描写しているかのような錯覚に陥ります。バッハの音楽は、この「怖ろしき終わり」を描き出すと同時に、そこからの救いも示しています。

なお、献堂式の194番を別にすると、この時期のカンタータには、最後のコラール以外に合唱曲を含まないものが連続しているようです。

BWV  89 われ汝をいかになさんや、エフライムよ 1723,10/24 三位一体節後第22日曜日  
BWV 194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い 1723,11/ 2 献堂式  
BWV  60 おお 永遠、そは雷のことば 1723,11/ 7 三位一体節後第24日曜日  
BWV  90 怖ろしき終わり汝らを引きさらう 1723,11/14 三位一体節後第25日曜日

第1曲アリア(T)は技巧的なヴァイオリンのオブリガートとテノールの激しい跳躍の応酬により、裁きの日を描写します。 とりわけ「引きさらう(reißet)」の部分は長く細かいコロラトゥーラで歌われ、「罪深い(sündlichen))」の部分の半音階下降(上昇)と対照をなしています。 また、84小節目に突然休止が現れますが、この部分の歌詞は「終わり(Ende)」、というように、なかなか凝った仕掛けが見られます。 ダカーポ形式の中間部ではヴァイオリンが沈黙し、通奏低音と役割を交代します。このあたりは、ジャズでベースがソロを取るような感じでしょうか。

第2曲アルトののレシタティーヴォは、神の恵みを忘れて罪に陥る人間に対して、諄々と悔い改めを説くものです。 人間の忘恩をとがめる歌詞ですが、その基底には神の慈悲が表されており、特に第7小節に現れる和音は最後のコラールに現れる驚くべき和音の先駆けとなっています。

第3曲バスのアリア。バロックオペラに限らず、オペラと言えばつきもののような復讐のアリアが、最後の審判の場面を描写しています。ここでは、トランペットが猛り狂うような妙技を披露します。(バッハの自筆譜には楽器の指定がないそうですが、ここでトランペットを使うことには異論が存在しないようです。) 続くテノールのレシタティーヴォでは、にもかかわらず神はわれらを「選民」として守りたもうことが述べられます。(この考え方にはあまりというかほとんど共感できませんが)

最後の第5曲コラールは、バッハが他のカンタータ(101, 102)やヨハネ受難曲などでも使用しているものです。始まりは一見普通のコラールですが、行毎に少しずつ和声は複雑さを増し、ついに第10小節の奇跡のような和音に到達します。これぞ「至福の一時」。 この和音を聞いたあと、1テンポか2テンポ遅れて、ふっと涙が出そうになるのは私だけでしょうか?なおこのコラールのMIDIがもくりんさんのMIDIサイトに掲載されています。

このように、合唱曲もなく、アリアも二つだけで、あとはコラールだけというシンプルな構成ですが、最後にこのような奇跡が用意されているというところが、いかにもバッハらしいと感じるのです。

▼演奏は多くはありませんが、主要なところがそろっています。

	Werner		1963	ERATO
	Rilling		1978	Hänssler
	Leonhardt	1979	TELDEC
	Koopman		1998	ERATO
	Leusink		1999	Brilliant
	Suzuki		2000	BIS
	Matt		1999	Brilliant (コラールのみ)
	

最初のアリアはヴァイオリンの名人芸とテノールの激しさがうまく表現されているリリング盤を第一とします(テノール:アダルベルト・クラウス)。それが実際に現在の演奏家たちにとって技巧の見せ所になるようなパッセージかどうかは別にして、そのように弾いてもらう方が聞く方は面白いのです。 BCJのように何ごともなくさらりと弾いてしまうと、かえって面白みがありません。同様にテュルクもとてもうまいのですが、滑らかすぎます。ヴェルナーのレガートをたっぷり効かせた出だしを聞くと、やはり時代を感じてしまいます。その他は、レオンハルト、コープマン、レーシンクの順に聞き応えがありました。

次のアリアは、リリング盤やヴェルナー盤の突き抜けるような現代楽器のトランペットも良いのですが、やはり適度の荒れをともなったナチュラルトランペットの響きが曲想に適しているようです。 その点、BCJの演奏はトランペットも、その他の楽器のバランスも最高です。コープマン盤は少し歯切れが悪く、レーシンク盤はかなり善戦と言うところです。レオンハルト盤ではありありと苦戦していますが、録音年代が違います。(多少はずして当然という前提で聞けば、非常に生き生きした演奏です。)

そして最後のコラール。リリング盤、鈴木盤そしてレオンハルト盤がしみじみと胸にしみるものでした。全部を通して聞くとレオンハルト盤も非常に説得力のある演奏です。

なお、マット盤はコラールのみの演奏ですが、同じコラールの他の編曲も聞けて興味深いものです。合唱は透明感があり親密。私の愛聴するCDです。

(2004年3月26-27日)

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2003-03-27更新
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