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カンタータ第65番《人々シバよりみな来たりて》

バッハの教会カンタータ(31)BWV65

カンタータ第65番《人々シバよりみな来たりて》BWV65
Sie werden aus Saba alle kommen
1724, 1/ 6 顕現節

これもDOVERの"Seven Great Sacred Cantatas"に入っていいる曲です。さっ そくリヒター盤を聞いてみましたが、これは実に元気な曲ですね。楽器編成も華やか で、ホルンが吹きまくるところや、舞曲風のアリアなど、第1番ともよく似た雰囲気 を持っています。1番は受胎告知の祝日、こちらは顕現節と、原因と結果の違いはあ れど、キリストの降誕を祝うという共通のテーマを持っています。

顕現節 "EPIPHANY" というのは、クリスマスシーズンの最後を飾る祝日です。最近、 クリスマスは12月24日だと思いこんでいる人も増えましたが、これはあくまでも 「前夜」です。日本では、クリスマス、除夜の鐘、初詣と三宗教で忙しいことです が、もともと12月25日の降誕節第1日から、第2日、第3日、新年、新年後第1 日曜(これは5日までに日曜があった場合)、そして1月6日の顕現節までとイブを 入れると2週間も続く行事なのですね。クリスマスオラトリオが6部編成なのは、こ のそれぞれの祝日に演奏されたわけです。

ついでに、1月5日が「十二夜」で、この夜にクリスマスの飾り付けを片づけたりするそうです が、これは日本では真似できませんね。顕現節は、星占いでキリストの降誕を知った 東方の三博士がイエスを礼拝に来たという故事にちなんだものです。(マタイ 2:1-12)カンタータの中で何度も歌われる、黄金、乳香、没薬は、この時にイエスに 捧げられたものです。

シバの女王がソロモン王を訪ねる話は、これとは別の話ですが、ここでも黄金と香料 を捧げたということになっているので、二つの話が混ざっていったのでしょう。ある いは、マタイ伝の記事そのものがシバの女王の話に影響されているのかも知れませ ん。

▼前置きが長くなりましたが、ともかくこのカンタータ、明るくスカッとしていて、 バッハらしくない?作品です。冒頭の合唱曲から、まず楽器編成が豪華。ホルン2 本、レコーダー2本、オーボエ・ダ・カッチャ2本、ヴァイオリン、ヴィオラ、通奏 低音と来て、これが交互に響き合うところは実に楽しいものです。また、思い切った ユニゾンの部分も、バッハには珍しい気がします。次々と波が押し寄せるように、わ き上がるような華やかな合唱。これを一気に歌いきったあと、直ちにコラールが始ま り「アレルヤ」で力強くしめくくられます。ここまで、息つく暇もなく聞いてしまい ます。

このあとは、バスとテノールが、それぞれレシタティーヴォとアリアを歌います。ま ずバスの方はちょっと長めのレシタティーヴォ。まあ、これはメシのたねだから欠か せません。説教に歌がついたと思えばよいのですから、もともと退屈するようなもの ではなかったはずです。さて、アリアは2本のオーボエ・ダ・カッチャに通奏低音の 絡み合いが精妙で、室内楽曲を聞く趣があります。

テノールの方のレシタティーヴォは内省的な趣で、ちょっと心を引き込まれるところ があります。ついでアリアは、最初の合唱曲の楽器編成が戻ってきて、実に豪華なも のです。3拍子の舞曲風の楽しいメロディー、各楽器にそれぞれ見せ場があり、テ ノールにはすごいコロラトゥーラ。会衆から思わず拍手が出るんじゃないかと心配に なるような曲ですね。(お堅い長老たちは渋い顔をしていたんじゃないでしょうか ?)

その代わりという気もしますが、最後のコラールは通奏低音のみの実にがっちりした ものです。この作品は、2曲目と7曲目にコラールが置かれて、曲を引き締めると共 に、会衆一同でクリスマスシーズンの最後を祝うという性格を明らかにしているよう に思います。

▼この曲の演奏については、カンタータ1番について述べたことと同様のことが言え るようです。演奏は以下のもの。

ラミン     1952 EDEL
リヒター    1967 ARCHIV
リリング    1979 Haenssler
アルノンクール 1977 TELDEC
マクリーシュ  1997 ARCHIV 
("EPIPHANY MASS"というタイトルの2枚組アルバムに収録)

他にコープマン ERATO と Leusink Brilliant がありますが、まだ聞いていませ ん。

リヒターの演奏は、とにかく力強く、曲の構造が明確で、これを聞く限り理想的な演 奏と思えます。歌手も、テオ・アダムも良いですが、ヘフリガーのレシタティーヴォ はさすがで、思わず聞き入ってしまいます。リリングは、リヒターとよく似た傾向の 演奏ですが、リヒターほどのはっきりした表現が感じられないというところです。た だし、テノールのクラウスの、特にアリアは実にうまいと思います。ただし、通奏低 音のチェンバロは、この曲の場合古くさく感じらられます。

ところが、アルノンクールとマクリーシュの演奏をそれぞれ聞いてみると、リヒター の演奏にはないものが現れてくるのが面白いところです。例えばこれらの演奏では、 冒頭のホルンが実に懐かしく安らかな響きに聞こえるのに対し、リヒターの演奏では まるでこれから狐狩りでも始まるのかという様子です。特に、マクリーシュの演奏で は1オクターブ高く吹かれるホルンの音が夢のように美しい。こういう演奏を聞く と、リヒターのこれでもかというほど完璧に解釈された演奏は、それ故に抜け落ちる ものもあるのではないかという気がしてくるのです。

そう思って、リヒターの先生に当たるラミンの演奏を聞いて見ると、もっとゆったり と自然にやっている感じがします。(ラミンは全体の演奏時間19:39)

そう言うわけで、今回はむしろアルノンクールの演奏が好ましいものに思えました。 しかし、マクリーシュの演奏には、それ以上の意義があります。

▼このアルバムは、要するに バッハの時代に行われた顕現節の礼拝を再現しようとしたものです。時間はたっぷり 160分。教会の鐘から始まって、オルガン曲あり、讃美歌あり、ミサ曲あり、聖句 朗読あり、説教!ありと実際の礼拝の様子が克明に再現されていきます。しかも、こ れは一般的な再現ではなく、1740年1月6日ライプチヒトーマス教会で行われた であろう礼拝の再現という、具体的なものです。こういう状況でバッハを聞くと、そ れがその時代にあっていかに近代的なものであったかと痛感します。

そして、こういう礼拝の姿の中でカンタータを聞くと、あまりに「作品」の論理を追 求した演奏はそぐわず、本来の場所に行われたであろう演奏に、安らぎを感じたりも するのです。どうも、いまだにバッハの演奏については、何がよいのか、むずかしいこ とです。

(2001年4月3日)

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2002-05-12更新
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