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カンタータ第25番
《汝の怒りによりてわが肉体には全きところなく》

バッハの教会カンタータ(48) BWV25

カンタータ第25番《汝の怒りによりてわが肉体には全きところなく》
Es ist nichts Gesundes an meinem Leibe
1723, 8/29 三位一体節後第14日曜日

初演の日の礼拝で読まれた聖書は、ルカ福音書17,11-19で、次のような本文です。

17:11 彼がエルサレムへの途上にあり,サマリアとガリラヤの境界を通り過ぎていたときのことである。 17:12 ある村に入った時,十人のらい病人たちが彼に出会ったが,彼らは遠くに立っていた。 17:13 彼らは声を上げて言った,「師イエスよ,わたしたちをあわれんでください!」 17:14 彼はそれを見ると,彼らに言った,「行って,自分を祭司たちに見せなさい」。出かけて行く途中で,彼らは清められた。 17:15 彼らのうちの一人は,自分がいやされたのを見て,大声で神に栄光をささげながら戻って来た。 17:16 イエスの足もとにひれ伏して,彼に感謝をささげた。しかも,それはサマリア人であった。 17:17 イエスは答えた,「十人が清められたのではなかったか。それなら,九人はどこにいるのか。 17:18 神に栄光をささげるために戻って来たのは,この他国人のほかには見いだせないのか」。 17:19 それからイエスは彼に言った,「立ち上がって,行きなさい。あなたの信仰があなたをいやした」。 電網聖書より)

このような本文を反映して、歌詞には病気に関する表象が多用されています。もちろん、曲全体のテーマは、人間の罪を病に喩え、罪の赦しへの感謝と喜びを歌っているのです。

第1曲合唱はこの作品全体の中で、最も音楽的な比重の高い部分です。平均律第2巻第12番ヘ短調にも似た「ため息の動機」で始まりますが、その冒頭から 「血潮したたる」で有名なコラールが引用されます。すぐに合唱フーガに入って行きますが、はじめ通奏低音に現れたコラールの旋律は、やがてトロンボーンに、そしてリコーダーに現れて、音楽の高揚を作り出します。

ただしデュルによると、マタイ受難曲で有名なゲルハルトの歌詞は、1723年当時のライプツィヒではほとんど知られておらず、バッハの念頭にあったのはおそらく当時広く知られていた詩編第6編による歌詞であっただろうと言うことです。 確かに詩篇第6編の第1節2節は次のようになっていて、この合唱曲の歌詞はその要約と言えるものです。

主よ、あなたの怒りをもって、わたしを責めず、あなたの激しい怒りをもって、わたしを懲らしめないでください。 主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。(口語訳聖書より)

もちろん、このようなことを考えなくても、この合唱曲の見事さが減じるわけではありません。ただ、このコラールが出てくるとすぐに「受難」をイメージしがちなのは、必ずしも常に作曲者の意図であったとは限らないと言うことです。 なお、この歌詞によるコラールはカンタータ135番《ああ主よ、哀れなる罪人われを》(1924年6月25日)で用いられています。

▼続くレシタティーヴォ(T)は、この世を病院に喩え、人間の悪徳から発した病気がこの世を覆っている状態と、その癒し手への切望を語ります。これは音楽的には次のアリア(B)への導入部になっています。このアリアでも、らい病、できもの、薬草、膏薬、医師、治療といった言葉が多用されます。しかし、何と言ってもまず耳を惹くのは、通奏低音のチェロでしょう。 このチェロだけを聞いていても飽きることがありません。

次のレシタティーヴォ(S)でもなお、「医師」「患者」などのイメージが続きますが、歌詞2行目でイエスのもとへ「疾走する」(疾走する音型が聞き取れる)あたりから、音楽に明るさが現れます。魂は、イエスによる清めと癒しを切望し、ついに救いへの感謝に至ります。今度はこれが第5曲アリア(S)への導入となり、喜びと感謝の歌が歌われます。 中間の3曲は通奏低音のみの伴奏で、ここでリコーダー、オーボエ、弦が現れることの効果が大きいようです。3拍子の舞曲は、天国的な喜びを感じさせるものです。大変愛らしい曲と表現することもできるでしょう

こうして、最後のコラールは悩み苦しみから人を救う神の栄光が、国を超えて広がり、時を超えて讃えられることを祈ります。

▼このカンタータに採用されている歌詞は、いささか病気と医療のイメージに偏っていて、必ずしも優れたものとは思えませんが、バッハの音楽が非常に効果的で、特に冒頭の合唱曲とソプラノのアリアはそれぞれに素晴らしいものでした。なお、第3曲アリアに「ギレアドの香油」と言う言葉が出てきますが、これは旧約聖書のエレミヤ書に出てくる言葉です。 俗に言えば「お医者様でも草津の湯でも」の「草津の湯」のような意味で使われているようです(どんなたとえや?)。(録音に関する記事が続きます)

(2002年5月16日)

▼さて、このカンタータの演奏ですが、現在のところ録音は5種類あります→(録音一覧)。この作品の中で冒頭の合唱曲の比重を考えるならば、まずコープマンの演奏をあげなければなりません。 この合唱のすばらしさにはちょっと言葉がありません。他の演奏との差があまりに歴然としているので、ためしに「門前の小僧」であるわが配偶者に、BCJと聞き比べをしてもらったところ、一発でコープマンの方を選んでいました。(もちろん、彼女はどちらもよく知りません)。たとえようのないものを無理にたとえようとするならば、身体がふわっと天上に持ち上げられるような感じと言えばよいでしょうか。
2曲目以降も、テュルク(T)メルテンス(B)は安心。チェロのヤープ・テル・リンデンも軽やかな演奏。ソプラノのLisa Larssonも問題ありません。舞曲の快活さも魅力的。

これと対照的なのがリリングです。相当ヴィブラートの入った合唱には、最初ちょっと引いてしまいます。(何度も聞いていると懐かしくも充実した響きに感じられるのですが)。バスアリアのチェロの重苦しさは何度聞いてもなじめません。その代わり、アダルベルト・クラウス(T)とオジェー(S)のレシタティーヴォには他にない劇的な充実があり、最後のコラールは共感に満ちています。

▼アルノンクールは意外に?まともな演奏で、ウィーン少年合唱団もそのソリストも破綻がありません。エクィルツ(T)は少し神経質な感じ。バスアリアのチェロはおそらくアルノンクール自身が弾いているのだと思いますが、雄弁な演奏で、この部分だけは最高のものと思います。舞曲の優雅さも印象に残りました。

BCJの演奏は細部まで磨かれた欠点のない演奏ですが、合唱は生真面目でコープマンのような突き抜けたものが感じられず、かといってリリングの暖かさもありません。歌手はコープマン盤と同等かそれ以上と思いますが(実はどちらもそれほど印象に残らない)、舞曲のテンポは急ぎすぎです。最後のコラールは細部にこだわりすぎて、共感を覚えません。もちろん、全体に水準の高い演奏であることは間違いなく、聞き飽きのしない演奏ではあるのでしょう。

▼最後にレーシンクの演奏ですが、はっきり言って合唱はばらばら。合唱の比重の高い この作品には苦しいところです。ところが、バスアリアのチェロがゆっくりしたテン ポで歌ってくれるのが、とても慰めになり、ソプラノの変に生々しい声に思わず心惹 かれます。やはり、どの演奏にもどこか良い点があるものです。

(2003年5月21日)

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2003-05-21更新
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