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カンタータ第136番《神よ、願わくばわれを探りて》

バッハの教会カンタータ(40) BWV 136

第136番《神よ、願わくばわれを探りて》
Erforsche mich, Gott, und erfahre mein Herz
1723,7/18 三位一体節後第 8日曜日

作曲の順番から言えば、カンタータ第186番《魂よ、躓づくなかれ》BWV186 1723, 7/11 三位一体節後第 7日曜日が先ですが、これはちょっと後ま わしにして、カンタータ第136番《神よ、願わくばわれを探りて》を聞きました。 このカンタータの歌詞は、キリストの血による罪の贖 いというような内容で、余り具体的なイメージが湧かないのが残念です。

▼でも、音楽の方はなかなか良かったです。合唱曲で始まり、レシタティーヴォをはさん で二つのアリア、最後はコラールでしめくくるという簡素な作りながら、合唱もアリ アもなかなか聞き応えがありました。

最初の合唱曲、以前に聞いた《人々シバよりみな来たりて》BWV65, 1724, 1/ 6とよ く似た雰囲気。同じ12/8拍子で、ホルンの活躍、フーガの合唱など同様です。広々と した空間を感じるような音楽でした。

テノールのレシタティーヴォに続いて、3曲目のアリア(A)は、オーボエ・ダモーレ の響きがのどか。こういうパターンが最近多いようです。中間部がけたたましくな る展開も、以前に聞いた《考え見よ、われを襲いしこの痛みに》BWV46で現れたもの です。なお、BWV46はこの年の8月1日に演奏されたものですから、このカンタータと2週間しか離れていません。

今度はバスのレシタティーヴォに続き、5曲目のアリアはテノールとバスのデュエッ ト。弦楽のリトルネッロも調子が良いし、デュエットも楽しい(特に歌っている人は 楽しいでしょう)。歌詞の方は、アダムの原罪とか、キリストの血とか、けっこう凄 惨なものなのですけれど、それよりは救いの喜びを基調にして音楽が作られているのでしょう。

最後のコラールは簡素なお茶漬けコラールです。ただし、このカンタータの場合、お 茶漬けがほしくなるほど濃厚でもありませんでした。

▼演奏の方ですが、これも全集盤のみです。すなわち、アルノンクール盤、リリング 盤、レーシンク盤。ライプチヒの初期なので、コープマン盤、鈴木盤もあります。

まず、コープマンと鈴木盤の比較。鈴木盤の合唱は、いかにも生真面目で文句のつけ ようがないように思います。ところが、コープマン盤を聞くと、自発性というか自然さが違 うのです。鈴木盤の合唱を聞くと、とにかく教えられたことを忠実に守っているという 印象が抜けません。独唱陣は、テノールとバスが、鈴木盤は桜田とコーイ、コー プマン盤はテュルクとメルテンス。これもコープマン盤が良い。桜田は、レ シタティーヴォなど、歌詞が言葉になっていないところがあります。テュルクは今ひとつ個 性は乏しいが、ナチュラルで誠実な歌唱。そしてメルテンスは歌詞のニュアンスが 隅々まで伝わってきます。

レーシンク盤は余り期待しないで聞いたのですが、これは大変良い演奏でした。合唱 も独唱も、コープマンや鈴木盤と比べるとかなり下手なのに、篤実というか、バッハ の心がそのまま伝わってくるような気がしました。もちろんそれだけではなくて、 1曲目のナチュラルホルンなど、他にはないような暴れ方で、大変楽しめました。

アルノンクール盤は、全体としての印象は今ひとつでしたが、部分的にはさすがと言 うところがありました。合唱曲の雄大さなどは、これを聞いて初めて実感したところ です。

これだけ、ピリオド楽器の良い演奏を聞いてしまうと、リリング盤だけが現代楽器 で、いささか肩身が狭いようです。テノールはアルノンクール盤と同じエクィルツ。 オーボエ・ダモーレはギュンター・パッシン。いろいろと興味深い録音ではありまし た。

大体、私はこの文章を書く時に、代表的と思われるCDをパソコンで聞きながら書く ことが多いのですが、今回はレーシンク盤でした。下手は必ずしも悪いことではな い。下手ゆえの真実もある。というのが今回の感想です。

(2001年7月15日)

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2002-11-10更新
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